続きです。
いよいよ武田信玄が釜無川に気付いた信玄堤を
見て回ります。
駐車場内は徐行して走り、
その他は自転車を曳き曳き。
しかし戦国時代に築かれたとはいえ
城とか町とかならまだしも、
「堤」とは何とも地味ではあります。
こんなに車が来るような見どころだとは
予測していませんでした。
良く考えるなら山梨県人の信玄リスペクトですが、
ひょっとして他に娯楽がないのか・・。
自分がわざわざ見に来て言うのもどうか、
とは思いつつ。
土手の上に登ると、釜無川が広がっていました。
そして河川敷には多摩川で何度か目にしている
「聖牛」の現役に近い姿。
こんな現役(もどきの)「聖牛」の姿を見ると、
どこかで見たパターンの気がしました。
天から落ちて来て壊れた未知のロボットを
大事に大事に調査していたら
空に浮かぶ城からからピカピカに武装した
現役ロボットがゾロゾロ出撃してきたかのような。
ここまで聖牛に出会してきて
その数だけこのヘンな名前は目にしていながら、
意味を深く考えていませんでした。
しかしどっちもどっち、
正解自体もはっきりしていないのでした。
この案内を見て読むに至り、
自分の不明に気付きました。
事前にわかっているものを見て回るより、
偶然出会う要素を大事にして
見たいものをピックアップするだけで
事前に深く調べることはしていないのですが、
それにしても治水事業で知られた武田信玄、
「信玄堤」の名前からその仕掛けが堤だけと
思い込んだのが迂闊でした。
御勅使川・釜無川の沿岸に手を加え
流れを制御したエリアを称しての
「信玄堤」なのでした。
領国の治水を
ちょっと見で済まそうとしたのが安易だったと
悔やむことしきりです。
テーブル式の地図で見ると、
韮崎市や南アルプス市にまで跨がった
治水の史跡ということになるのでした。
マズいことに「サイクリングロード」の文字まで
書き込んであるのです。
かといって、
大月を出でてより笹子峠を越え
甲府盆地を横断して辿り着いたこの地から、
さらに川を遡る体力はもはや残っていません。
陽の光も夕暮れの色が混じり始めています。
・・・さてどうしたらよいか。
続きます。