続きです。
自転車もとい将軍と警護の部隊は
四谷大木戸を通過したところです。
四谷大木戸門跡の碑を過ぎ、
最初の角である四谷区民ホールを左に曲がります。
新宿御苑の大木戸門が見えます。
左手には「内藤新宿開設三百年記念碑」がありますが、
正直、もう少し手入れが欲しいところです。
将軍と警護の部隊がここで小休止を取っただろう想像は
ここが内藤新宿という大きな宿であったことが1/3、
もう1/3は、
左のフェンスの中です。
「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」です。
半蔵門から四谷まで約7kmを急いで来た部隊は、
人馬とも水を補給しただろうという想像です。
それなりの人馬の数を潤す水として、
玉川上水は充分だったことでしょう。
正月三が日のせいか閉まっているので
「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」沿いの
道を進みます。
実のところ、
10年ほどの昔この近所に勤めていて、
まさしくこの散歩道を
毎日のように歩いていたのは自分です。
当時の分水は水も流れておらず、
土や葉に埋もれて分水であることも
知らなかった始末です。
新宿御苑の新宿門近くまでやってきました。
「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」は
ここで終いです。
新宿方面からの観光客には
新宿御苑はここが「入り口」で、
散歩道もこちらの方が
いかにもスタートらしいです。
脳裏の玉川上水の流れが
目の前の風景に重なります。
さてこの周辺で部隊が小休止をしただろう想像の
根拠ののこり1/3は。
鉄砲百人組が配されたことに由来する百人町が
2km程度の北にあるためです。
江戸城出発とともに早馬を飛ばしておけば、
参集した百人組が内藤新宿で待つ将軍警護隊に合流、
守りと意気を強くし、
さらに西進するのです。
江戸時代に行われた「鉄砲組百人隊出陣の儀」が
現代に復活している皆中稲荷神社は
JR大久保駅のすぐ近く。
現在ではコリアンタウンで知られ、
周囲はなんとなく日本らしからぬ活気と
辛い匂いの混じる空気です。
正月の混雑で、自転車曳きでは近寄れず。
仕方なく早々に切り上げました。
甲州街道に復帰です。
続きます。
<今日のひとネタ>
昨年の秋あたりからアウトドア特化のスマートウォッチ
「WSD-F10」の価格が落ちてきていました。
そして「WSD-F20」4月発売のニュースです。
デザイン変更もカッコいいですが、
OSとソフトウェアが
新機種と変わらず使えるのであれば、
WSD-F10でまだいいかな、と思いました。
まだ情報が少ないせいかもしれません。