続きです。
「アプトの道」に拒否られた自転車は、
半ば観光地と化した民家の中を北上し、
旧中山道に突き当たります。
右を向くと、
信越本線・横川駅と「碓氷峠鉄道文化むら」
「アプトの道」に立ち寄らなければ
辿ってきた筈の中山道・江戸方面。
そして案内標識によると
左の軽井沢方面に関所がある筈。
すぐそこにありました「碓氷関所跡」。
馬=自転車を繋ぐのが面倒で、
担いで上ります。
江戸方向に向いた関所跡となっていました。
よくわかりません・・・。
関所の裏山。
関所を回避して抜けられぬものかな、
という目についついなりがちですが。
地形と付近の集落・住民ぐるみが
それを許さぬシステムを構築していたことは
ブラタモリの箱根編で解説されていました。
それを現地でチラ見した箱根行は以下。
肝心の名所・箱根の関所を見逃した
サイクリング行ながら・・。
高尾梅郷行以来、小仏関所跡と手付き石を
見逃したままにしているのを思い出しました。
碓氷関所跡では「おじぎ石」らしい。
門の裏側から軽井沢方向を眺めます。
同じく中山道沿いの近所、「碓氷峠鎮魂碑」。
(ガードがとにかくカンペキでした)
ネット調べでは、
「各種交通機関建設に関わり殉職された方、
思わぬ災害や交通事故に遭遇し
尊い命を失った人達を慰霊する為鎮魂碑〜」
だそうです。
そして国道18号の再合流地点には
その「各種交通機関〜」のうちの一つ、
「碓氷馬車鉄道」の石碑。
箱根と並び称される高低差555mの碓氷峠に
世界でも類を見ない馬車鉄道。
こんな優雅な姿であったのは
平地の駅周辺だけだったのでは、と推測。
日本で2番目という、
要するにノウハウあるいは常識が無かった故に
立ち上がった起業だったのかも。
昨今の起業ブームもかくや。
きっと乗客の荷物類は別途の運送方法だったに
違いない、と想像をたくましくします。
観光用にでも復活しないものでしょうか。
自転車は碓氷関所を離れ、
国道18号の碓氷バイパスを隣に見ながら
霧積川を渡り、
国道18号を進みます。
ここから上りになるらしい国道18号・中山道。
その下を碓氷バイパスの霧積隧道が交差します。
穏やかな外見ながら斜度が増してきます。
上信越自動車道の下を潜ります。
高架下の水神の案内には、
松井田宿の標柱で見た「中山道分間延絵図」の
言及がありました。
坂本宿として整備される以前の村の水利が
「中山道分間延絵図」に描かれている由。
やっぱり「中山道分間延絵図」、中山道沿いの
要所要所に案内板にして設置すべきです。
「原」の標識を目にして間もなく、
原村の水利の一端を目の当たりにする
その坂本宿に自転車は入ります。
続きます。