続きです。
野山北・六道山公園周遊を経て、
自転車は残堀川を遡っています。
ほどなく辿り着いたそこは・・・、
「残堀川 上流端」と案内表示に有り。
「源流」の案内に引かれてここまでやって来たのに、
その末が(始まりだけど)上流端?
仙川下りのスタートも上流端ではあったものの。
「残堀川源流狭山池」と標識があるので
単なる上流端ではなくやはり源流には違いなく、
池と川とは明確に分けられる、ということか?
そしてその向かいには「狭山池」
案内によると池は「古多摩川」が流れていた名残。
現在の多摩川からは5kmほど離れています。
狭山池擁する「狭山池公園」周囲は
特にサイクリングコースではありませんが、
緩く自転車で流すには好適の地でした。
軽く周回してみます。
池のほとりには馬頭観音。
池の中に延びた島の奧には厳島神社。
常夜灯は付近の日光街道脇にあったものを移設した由。
さらに自転車は池を周回すると・・
池の北側には「調練橋」案内。
「調練橋」の史跡。
お代官様のパーソナリティに依るもので、
あまり土地柄とは関連が無いように読めます。
軍馬の教練地であった多摩川とも
前述の通り5kmは離れていますし。
ここ狭山池から1kmほど南には
米軍横田基地もありますが、
それとも関係なさそうです。
「蛇喰い次右衞門」像。
案内を見ると、かなり治水工事が行われた末の
狭山池と残堀川の現在であるらしい。
ちなみに地図上で狭山池から左(西)に
そのまま目を平行に移動させると、
多摩川の小作取水堰があるのです。
ただしその取水は玉川上水へではなく、
村山貯水池(多摩湖)に注ぐもの。
言及の玉川上水へは羽村取水堰の担当なのでした。
池を一周すると上掲のような景色が次々と立ち現れ、
外国のアクション映画に出てくる日本庭園みたいな
どこか無国籍な雰囲気漂う狭山池公園なのでした。
今度こそ残堀川的な何モノかに遭わず帰路につきます。
ただ交差点で目についた「日光街道」標識。
五街道としての日光街道起点は江戸日本橋なので、
「鎌倉街道」的な呼び方で、
近隣地域からの住民らが日光参拝に向かう際に
一般的に使われた街道なのでしょう。
残堀川に沿って、狭山池を中継点として。
その旧日光街道が北に向かって延びています。
思えば昨年の晩秋に失敗した奥日光には、
もう一度暖かい〜暑い季節での
避暑的リベンジを誓ったものでした。
それが夏に入るといきなり全力投球の猛暑中。
今度は熱中症ということにもなりかねない勢いです。
この日光街道のはるか彼方を
もう一度辿るのはいつの日か・・。
多摩湖西岸の多摩丘陵のブラウジング、終了です。
・・・追記:
度重なる寄り道で、
往路で見かけた民家のタケノコ屋台に
立ち寄る体力が無くなってしまいました。
以来ずっとそこを再訪することを夢見ているのです。
(大袈裟な)