赤穂浪士の引き揚げについて行く(3)八丁堀・築地編

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前日から続いています。
一応「引き揚げの道」自転車追走用の
マップデータを再掲です。

隅田川沿いに進みます。

kiyosu

清洲橋を素通りします。

そのまま下っていくと永代橋の少し手前に、
「赤穂浪士休息の地」史跡。
写真左手です。
背景が工事中でビジュアルがイマイチ。

kyusoku1

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kyusoku3

ここで浪士たちが甘酒をふるまわれた、とか。
(尾上松也氏TV番組では、
実際はにごり酒だったのでは、との考証)
赤穂浪士ファン向けに
甘酒スタンドでもあれば売れるでしょうに。

そして「赤穂浪士が渡った」橋のうち、
クライマックスにあたる永代橋。

eitai1

渡ります。

橋の上から。

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反対側。

eitai4

ネットで調べてみると、
討ち入りの元禄15年12月14日は、西暦1703年1月30日。

日の出入り (東京(東京都): Tokyo – 2015/01-03)

で見ると、2016年1月30日の出はAM6:43。
ほか、検索してみると「忠臣蔵新聞」様の
記事を見つけました。

重要な討ち入り時間と引き上げ時間-忠臣蔵新聞292

eitai3

この橋の辺りで日の出だったかも。
あのスカイツリーの辺りから日が昇ったかも。
そんな風に考えてみます。

永代橋を渡り終え、斜め左の大通りに進みます。

もうひとつ橋、その名も「高橋」。
右に八丁堀駅があります。

takahasi

渡り終えたところで左折。
そのまま道なりにまっすぐ。

聖ルカ病院付近に到着。

芥川龍之介の史跡看板もあり。
(時折見かける地図看板に目を走らせると
そもそも史跡だらけですけど)

そのまま写真左手へ歩道を移動すると
浅野内匠頭邸跡。

asanotei1

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TV番組的にはここが山場。
跡部蛮氏の見解によると、
浪士たちはわざわざ川越しに遠回りをし
もはや主が変わってしまった邸を望める経路を取り、
過ぎ去りし昔の藩邸生活に思いを馳せたのではないか、
ということです。

四十七人というと、
昔子供が多かった時代の1クラス分と少し。
その人数のリアルさと、
昔の職も身分もなくあるのはもう仲間だけ、
と考えると、
さすがに現実味があり・・・。
泣けてきます。初めて。

築地を通ります。外国人観光客多し。
TV番組によるとこのあたりに浅野内匠頭終焉の地、
と史跡看板がある筈なのですが、
人混みの歩道の中、
自転車を抱え(表現です)ウロウロすることができず、
確認断念です。

tuiji
写真にはうまく写せませんが、
すごい数の観光客です。

築地を進みます。

tuiji2

歩道は観光客の波。
聞こえてくる日本語は食べ物に関する言葉。
この辺りの土地柄か、流通系の車両が多数で、
歩く人々は観光客、大きなビルが林立、道は工事中、
という最悪の環境でした。
早々に通り抜けます。
工事中の道は狭く車が詰まっているので、
歩道を歩いたりしました。

這々の体で築地から汐留を抜け、
泉岳寺を目指します。

まだ続きます。

<今日のひとネタ>
来週は、サイクルフェスタ2016です。

といいつつ、まだ一度も行けていないのです。
今年こそ行きたいです。

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